東海道五十三次をゆく 第2回
先週末「東海道五十三次をゆく 第2回」に参加してきました。
今回は、第1回目の終点だった品川宿の聖蹟公園に集合し川崎宿に向かいます。
早朝の電車に乗り、9時過ぎに京急新馬場駅から徒歩7~8分の聖蹟公園に到着。
第1回より少し少なめですが、この日もかなりの人数が参加するようです。
前回は友人2人と参加しましたが、今回は一人都合がつかずKさんと二人で参加。
ハルばあ達は2班Aグループ、21名のグループになりました。
この日、2-Aグループのガイドさんは本職が山岳ガイドだという男性で
歴史に詳しく、お話の上手なとっても楽しい方でした。
とにかく連日真夏のような暑さが続いていたので
しっかり日焼け止めを塗り、ひんやりアームカバーと帽子をつけ
多めにスポーツドリンクを持って、完歩を目標に10時前に出発。
あまりに暑い日だったので、ガイドさんもなるべく日陰を選んで歩いてくれます。
天気予報では30度を超える暑さでしたが、幸いなことにけっこう風があったので
覚悟していたほど暑さでバテなかったのでホッとしました。
北品川宿と南品川宿の酒井を流れる目黒川にかかった品川橋を渡り…
今はマンションになっていますが、ここは幕府御用宿釜屋跡地。
新撰組副長土方歳三をはじめ隊士たちも、しばらく釜屋に滞在していたそうです。
その向かいにあるのが品川寺(ほんせんじと読むそうです)
ここで2グループ一緒に、地元のガイドの方から品川寺についてのお話を聞きます。
ハルばあは、本当に歴史に疎いので、聞くことすべてが初耳で
ガイドさんの説明は、とっても興味深く勉強になります。
境内にある樹齢600年の大銀杏の木。
そしてこれは「洋行帰りの鐘」
江戸末期に行方不明になり、その後慶応3年(1867年)のパリ万博
明治4年(1871年)のウィーン万博に展示されたことが伝えられ
後にスイスの「アリアナ美術館」の閉館を伝える鐘として使われていたそうで
大正8年に先代の品川寺住職が梵鐘の所在を突き止め、返還を願い出て
ジュネーブ市議会が満場一致で品川寺に贈還を決定、昭和5年に里帰りしたそうです。
通常は鐘の周辺には柵があって、鐘の近くまで上がれないそうですが
今回のツアーでは特別に柵をとってくれて、鐘をすぐ近くで見ることができました。
品川寺の入口すぐにある大きな地蔵像
江戸に続く六街道の入口に作られた六地蔵(現在は6番目がなく5つだけ)の
1番目の地蔵像で1708年に建立されたそうです。
このお地蔵様だけ傘を被っていないのだそうです。
品川寺を出て、また次の歴史ポイントに向かいます。
途中、グループガイドさんから海雲寺の御本尊はサメの中から出たお地蔵様だとか
鮫洲には土佐藩の下屋敷があったのだとか、色々なお話を聞きながら歩きます。
これは浜川橋。泪橋と言われていたところです。
鈴ヶ森刑場に向かう人が、縁者と最後の別れをする所だったそうです。
そして鈴ヶ森刑場跡。
あの八百屋お七などが処刑された場所で、処刑に使用された台石などもありました。
そこから品川水族館前を通り、磐井神社へ。
神社前にある磐井の井戸
この井戸の水は「心が正しければ清水。心邪ならば塩水」との伝説があります。
でも実際は江戸時代、目の前に海があったので海水が混じり
ほとんどの人は飲むと塩水だったそうです。
そうして歩き続け、12時に平和の森に到着。
待ちに待ったお昼の時間。
お弁当とお茶、ビニールの敷物が配られ45分間のお昼休憩です。
暑い中たくさん歩いてお腹がすいていたので、あっという間に完食。
休憩後、また暑い中、川崎目指して歩き出します。
ここ大森は昔、海苔つくりが盛んで、今も海苔店がたくさんありました。
梅屋敷跡、江戸時代の道中薬「和中散」を売っていた人の敷地で
当時は数百本の梅の木があり、宿なども併設され高杉晋作なども泊まったそうです。
暑さピークの中を頑張って歩き続け、次に向かったのは「六郷神社」
ここでまた2グループが集まって、地元のガイドの方から色々お話を聞きました。
これは源頼朝公寄進の手水石
造立年代が古いのに阿吽共にそろっているユーモラスな狛犬
六郷大橋の手前にあった「止め天神」
八代将軍吉宗の乗った馬が走り出したが、ここで落馬せず止まったことが由来とか。
そして、いよいよ六郷大橋へ。
関ヶ原の戦いの年に最初の橋が架けられてあと、洪水で流されたりして
5回に渡って架け直された後、1688年の洪水後は再建されず
かわりに「六郷の渡し」が設けられ、以後186年間渡し船を使ったのだそうです。
六郷大橋を渡ると、いよいよ川崎宿になります。
ここは田中本陣跡
主人である田中休愚は六郷川渡し船の権利を江戸側より川崎側に譲り受け
宿場の財政を立て直した人で、幕府の勘定支配格(大名並み)に登用されたそうです。
本陣跡から少し歩くと「かわさき交流館」があります。
ここは川崎宿を詳しく知る事のできるビデオや、模型などがあり
楽しく学べる施設になっていて、有名な奈良茶飯を食べることもできます。
そしてその日の終点、川崎市役所そばの稲毛公園へ。
スタンプ帳に川崎宿のスタンプをもらい、整理体操をして解散。
時間は夕方4時半になっていました。
かなり気温の高い日でしたが、風が強かったおかげで思ったほどバテず
割合楽に歩けた約12キロのウォークでした。
歴史について楽しく学べ、気持ちよく汗をかき歩いた、大満足の一日。
第3回も歩く気満々になったハルばあでした。
今回は、第1回目の終点だった品川宿の聖蹟公園に集合し川崎宿に向かいます。
早朝の電車に乗り、9時過ぎに京急新馬場駅から徒歩7~8分の聖蹟公園に到着。
第1回より少し少なめですが、この日もかなりの人数が参加するようです。
前回は友人2人と参加しましたが、今回は一人都合がつかずKさんと二人で参加。
ハルばあ達は2班Aグループ、21名のグループになりました。
この日、2-Aグループのガイドさんは本職が山岳ガイドだという男性で
歴史に詳しく、お話の上手なとっても楽しい方でした。
とにかく連日真夏のような暑さが続いていたので
しっかり日焼け止めを塗り、ひんやりアームカバーと帽子をつけ
多めにスポーツドリンクを持って、完歩を目標に10時前に出発。
あまりに暑い日だったので、ガイドさんもなるべく日陰を選んで歩いてくれます。
天気予報では30度を超える暑さでしたが、幸いなことにけっこう風があったので
覚悟していたほど暑さでバテなかったのでホッとしました。
北品川宿と南品川宿の酒井を流れる目黒川にかかった品川橋を渡り…
今はマンションになっていますが、ここは幕府御用宿釜屋跡地。
新撰組副長土方歳三をはじめ隊士たちも、しばらく釜屋に滞在していたそうです。
その向かいにあるのが品川寺(ほんせんじと読むそうです)
ここで2グループ一緒に、地元のガイドの方から品川寺についてのお話を聞きます。
ハルばあは、本当に歴史に疎いので、聞くことすべてが初耳で
ガイドさんの説明は、とっても興味深く勉強になります。
境内にある樹齢600年の大銀杏の木。
そしてこれは「洋行帰りの鐘」
江戸末期に行方不明になり、その後慶応3年(1867年)のパリ万博
明治4年(1871年)のウィーン万博に展示されたことが伝えられ
後にスイスの「アリアナ美術館」の閉館を伝える鐘として使われていたそうで
大正8年に先代の品川寺住職が梵鐘の所在を突き止め、返還を願い出て
ジュネーブ市議会が満場一致で品川寺に贈還を決定、昭和5年に里帰りしたそうです。
通常は鐘の周辺には柵があって、鐘の近くまで上がれないそうですが
今回のツアーでは特別に柵をとってくれて、鐘をすぐ近くで見ることができました。
品川寺の入口すぐにある大きな地蔵像
江戸に続く六街道の入口に作られた六地蔵(現在は6番目がなく5つだけ)の
1番目の地蔵像で1708年に建立されたそうです。
このお地蔵様だけ傘を被っていないのだそうです。
品川寺を出て、また次の歴史ポイントに向かいます。
途中、グループガイドさんから海雲寺の御本尊はサメの中から出たお地蔵様だとか
鮫洲には土佐藩の下屋敷があったのだとか、色々なお話を聞きながら歩きます。
これは浜川橋。泪橋と言われていたところです。
鈴ヶ森刑場に向かう人が、縁者と最後の別れをする所だったそうです。
そして鈴ヶ森刑場跡。
あの八百屋お七などが処刑された場所で、処刑に使用された台石などもありました。
そこから品川水族館前を通り、磐井神社へ。
神社前にある磐井の井戸
この井戸の水は「心が正しければ清水。心邪ならば塩水」との伝説があります。
でも実際は江戸時代、目の前に海があったので海水が混じり
ほとんどの人は飲むと塩水だったそうです。
そうして歩き続け、12時に平和の森に到着。
待ちに待ったお昼の時間。
お弁当とお茶、ビニールの敷物が配られ45分間のお昼休憩です。
暑い中たくさん歩いてお腹がすいていたので、あっという間に完食。
休憩後、また暑い中、川崎目指して歩き出します。
ここ大森は昔、海苔つくりが盛んで、今も海苔店がたくさんありました。
梅屋敷跡、江戸時代の道中薬「和中散」を売っていた人の敷地で
当時は数百本の梅の木があり、宿なども併設され高杉晋作なども泊まったそうです。
暑さピークの中を頑張って歩き続け、次に向かったのは「六郷神社」
ここでまた2グループが集まって、地元のガイドの方から色々お話を聞きました。
これは源頼朝公寄進の手水石
造立年代が古いのに阿吽共にそろっているユーモラスな狛犬
六郷大橋の手前にあった「止め天神」
八代将軍吉宗の乗った馬が走り出したが、ここで落馬せず止まったことが由来とか。
そして、いよいよ六郷大橋へ。
関ヶ原の戦いの年に最初の橋が架けられてあと、洪水で流されたりして
5回に渡って架け直された後、1688年の洪水後は再建されず
かわりに「六郷の渡し」が設けられ、以後186年間渡し船を使ったのだそうです。
六郷大橋を渡ると、いよいよ川崎宿になります。
ここは田中本陣跡
主人である田中休愚は六郷川渡し船の権利を江戸側より川崎側に譲り受け
宿場の財政を立て直した人で、幕府の勘定支配格(大名並み)に登用されたそうです。
本陣跡から少し歩くと「かわさき交流館」があります。
ここは川崎宿を詳しく知る事のできるビデオや、模型などがあり
楽しく学べる施設になっていて、有名な奈良茶飯を食べることもできます。
そしてその日の終点、川崎市役所そばの稲毛公園へ。
スタンプ帳に川崎宿のスタンプをもらい、整理体操をして解散。
時間は夕方4時半になっていました。
かなり気温の高い日でしたが、風が強かったおかげで思ったほどバテず
割合楽に歩けた約12キロのウォークでした。
歴史について楽しく学べ、気持ちよく汗をかき歩いた、大満足の一日。
第3回も歩く気満々になったハルばあでした。
by haru2010yakei
| 2015-06-03 21:04
| お出かけ
グータラ主婦ハルばあの日常のあれこれを綴ってみました。
by ハルばあ
S | M | T | W | T | F | S |
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
カテゴリ
全体ご挨拶
お出かけ
日記、雑記
マイ ファミリー
イベント
スポーツ
お店
お散歩
山登り
お買い物
旅行
以前の記事
2016年 10月2016年 09月
2016年 08月
more...
フォロー中のブログ
今日も元気一杯!空の見えるベランダから
やっぱり旅が好き♪
恵♪♪♪
うじうじしない日記
雑食系(アラフィフ)女子帖
たかこキッチン
こけの実のひとりごと
とものひとりごと
想い出はセピア色に。。。
最新のトラックバック
検索
タグ
旅行その他のジャンル
最新の記事
ハルばあ、台湾に行く その3 |
at 2016-10-17 20:36 |
ハルばあ、台湾に行く その2 |
at 2016-10-11 22:07 |
ハルばあ、台湾に行く その1 |
at 2016-10-03 18:51 |
秋の味覚がいっぱい |
at 2016-09-12 20:31 |
夏の色々と秋の野望 |
at 2016-08-31 18:00 |